バイト先で上司との怒鳴り合いの末学んだこと

 

 

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学内テレビスタジオでのバイト

学生時代学内のテレビスタジオで3年程バイトとしてお世話になりました。このテレビスタジオは大学及び周辺地域のテレビチャンネル管理、撮影、映像編集などが主な事業内容です。因みにきゃとらにの職種は『Special Accountant』直訳すると特別経理。といっても経理らしい業務はそう頻繁に発生せず、どちらかというと雑務をしたり、カメラ及び備品管理をしたり、プロジェクトのスケジュール管理をしたり、必要となれば撮影に駆り出されたり、といった業務の方が多めでした。要は庶務ですね。

 

職員同士の関係

 

ですので本来であれば業務時間中ずっとオフィスに立てこもっているところを、あちらこちらに駆り出されていたため、撮影クルーたちともすっかり仲良しでした。休みの日となると集まって一緒にご飯を食べたりするほど気軽な仲だったのです。年齢や役職といった垣根も互いになし。30代の契約社員がセンター長(一番偉い人)に「よぉボス!調子どう?」なんて適当な挨拶ぶっこきながらセンター長のプライベート冷蔵庫から勝手にマウンテンデュー飲んじゃうくらいですから。驚きなのはそういうカジュアルが過ぎる態度がお咎めなしということ(あとマウンテンデューについてもお咎めなし)。互いに仲が良いのは好きでしたが、上司をマブダチ同然に扱ったり、気軽に言いたいことを言い合ったりするのは自分には抵抗がありました。そういうところはやはり日本人なのでしょう。

 

…と思っていたのにやってしまいました

 

ある日学内で行われた大学バスケットボールの試合(日本で言うところの『インカレ』)の生放送に参加した時のことでした。普段はゆるいスタジオクルーですが撮影、特にLive中継ともなると緊張感がぴんっと張り詰めます。それもそのはず、Liveにおけるミスは繕うこともかなわずそのまま視聴者に向けて発信されてしまうからです。そのため撮影中は終始ピリピリ、というか殺伐としています。

 

きゃとらにの主な担当業務はテレビ画面上に表示される試合のスコアをアップデートすることでした。そしてきゃとらにのアップデートした情報に間違いがなければ、その情報をテレビ画面に表示されるよう別のクルーが承認する。作業自体はクリックボタンを押すだけの超単純作業でもスコアが間違ったり遅れて表示されれば一大事です。その場にいる全員から容赦なく「きゃとらに、Scores!(スコア!)」という怒号が飛んできます。

 

ところでこの怒号向けられる先はなぜか必ずきゃとらにでした。もう一人のクルーとペアでやっていたにもかかわらず。しかもきゃとらに自慢ではないですがこの仕事でミスをしたことはありません。そしてこれは本当に誓って自慢ではありません。試合の行方をきちんと見ながらクリックしていればいいという、できて当然のスーパーシンプルタスクなのですから。なのに怒鳴られるのは自分なんて理不尽だ!咄嗟のことだしと最初の内は言われるがまま我慢していたのですがイライラは徐々に沸き上がり、気が付いたら怒号に負けない勢いで「わたしはもうやったわ!」と怒鳴り返していました。それも食い気味で。

 

 

やってしまった。

 

 

怒りが沸点に達したのと同じ勢いで今度はスーッと感情の波がひいていきました。その時きゃとらにに「スコア!」と怒鳴ったのは他でもない上司だったのです。こんな時に限って。

 

しかしやはりお咎めはなかった

 

ところが怒鳴り返したことを叱られることはありませんでした。誤りに行くとむしろ「撮影中なんてミスも許されない中ピリピリしてるんだから怒鳴り合うくらい当然でしょ」なんてことをケロッと言われる始末。

 

このように当時のバイト先では役職や年齢にかかわらず自分の声を発する権利を職員一人一人が有していたのです。それはスペックや地位によって発言権に多少なりとも格差が生じるきゃとらにが経験してきた日本社会とは少し違いました。声を上げたところで、主張内容が正しくないこともありますし、最終的に受け入れられなければ、反論されることだってあります。しかも上司を怒鳴ることが許容されることにもなりません。それでも声に出すことを許容し合える文化っていいなぁと思います。

 

 

このバイト先での経験は自身の思考を言語化し相手に伝えるという姿勢にその後大きく影響しました。あれ以来上司をばんばん怒鳴るようになった、という話ではありません。以前と比べ自身の思うところを必要に応じて伝えるようになったのです。以前はこうすることをひどく怖がっていましたが、それはつまり相手を信頼していなかったからだと気付きました。相手の器を過小評価し、「言っても聞いてくれないし」と勝手に自分の気持ちに蓋をしていたのです。自分の内側にしまっていた気持ちを相手に差し出すことで相手も同じようにしてくれて、結果信頼関係が補強されていくのを何度か経験しました。もっと上手に自分の声を届け、相手の声を受け止め消化できるように自分も社会もなれたらいいなぁと思うのでした。

 

 

きゃとらに🐈 

 

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